日本の国石・水晶は古代よりその神秘の力が尊ばれていた!

皆さん、日本の国石が水晶だって知っていました?良質な水晶が日本でも採掘されていることを知らない人、わりと多いんですよね。国石も真珠と勘違いされてたりもしますし。

ちなみに古来、日本では水晶は“水精”ともいわれてました。 

そんな水晶を国石とする我が国・日本には、水晶にまつわる話が結構残されています。

その中のひとつが、幻の女帝・神功皇后伝説です。神功皇后は日本の歴史上で、一番最初に水晶を手にした人物だと伝えられています。

彼女が登場する《日本書紀》によれば、神功皇后は巫女的能力の高い人で、そのご神託を聞かなかったばかりに、夫・仲哀天皇は病魔に襲われ、あっけなく崩御したとか。

その神功皇后が大切にしていたのが、豊浦の海で拾った水晶《如意玉》でした。もともと能力の高い神功皇后は、どんなものからでも占うことができ、なんとその能力で自分のお産までコントロールしたとか。その能力は《如意玉》を拾って以降、ますます発揮されました。

息子が応神天皇として即位してからも、母后として、ご神託による政治を69年間も行い、101歳で天寿をまっとうしたといいます。彼女が大切にしていた水晶は、現在、西宮市の広田神社にて御神宝として残されています。

が、しかし!実は彼女の存在自体が疑問視されていて、まさに幻の女帝。それでも、この時代にすでに、水晶の神秘の力に注目していた日本人が存在していたということは明らかです。

歴史的に実在が明らかな人物にも、水晶にまつわる話が残っています。

時は室町時代後期。天下取りを狙う権力者たちは領土を奪い合い、血族をも敵味方に分けて、骨肉の争いを繰り広げていました。親子、兄弟すべてが疑心暗鬼に包まれていた時代、武田信玄の父・武田信虎もまたそんなひとりでした。

それには理由がありました。ある日、信虎は信仰している寺の仏像の額に第三の眼である白毫を入れんと、水晶を持ってその寺に向かいます。その道中、信虎はふと水晶を取り出します。すると不思議なことに、そこにははっきりと、刀を手にした嫡男・晴信(後の信玄)の姿が映し出されていたのです。これを謀反の前触れだとみた信虎は、家督を晴信ではなく次男の信繁に継がせると断言。これがきっかけで、親子は不仲となり、対立することになるのです。

憎しみが深まり、争いが続き、ついに晴信は父・信虎を駿河(静岡県)追放し、娘婿の諏訪頼重を騙し討ち同然で切腹に追いやります。その後、彼の娘・諏訪御料人を妻に迎えて周囲を驚嘆させますが、まるで罪滅ぼしをするかのように、晴信は御料人を大切にしました。しかし、彼女は25歳で夫と8歳の息子・四郎を残して逝去。晴信は落胆します。

悲しみにくれる晴信の元に、京から水晶の研磨職人が訪れます。「大事な夫の出家祝いのためのものなので、親玉には“信玄”と刻んで欲しい」との注文を受けた水晶の念珠を届けにきたのだというのです。

自身の死を予見した妻が、自分亡き後の夫の落胆を案じて遺した最後の贈り物だったのです。「落胆せず、世のため人のため、仏に仕えて欲しい」という妻の祈念が込められていることを、晴信は受け取ります。入道した晴信は妻の水晶の念珠以外にも、いくつかの水晶の念珠を作らせます。名も信玄に改め、人が変わったように政策に打ち込みました。

信玄が亡き後は四郎が家督を継ぎ、8つの領土を支配し、甲斐と諏訪の架け橋となり、両親の夢を実現させます。信玄から受け継いだ水晶の念珠のひとつは、四郎の異母妹である信松尼(松姫)へと渡り、十分にその力を発揮しました。信松尼は人々に絹織りの指導をし、八王子織の始祖として信松院に奉られています。