ロマノフ王朝、ブルボン王朝、ハプスブルク王朝…などなど、世界中の繁栄と栄華を極めた王家は、数多くの秘宝と呼ばれる宝石たちを所有していました。

どの王朝の宝石・宝飾史を紐解いてみても、その高価な宝石たちの中には必ず、深紅のガーネットが存在し、重要な位置を占めていたことがわかります。

これらの王家が統治していた国のほとんどからガーネットが採れたことや、赤い柘榴の実が一族の実りと血脈の象徴とされたことで明らかです。

ロシアのロマノフ王家は帝政ロシア時代にはロードライト・ガーネットを国石としていました。ウラル鉱山から多くの宝石が産出されましたが、ロードライト・ガーネットの大半はここから産出していました。

ロマノフ王朝時代には、宮廷を始めとして、多くの貴族たちがロードライト・ガーネットの装飾品を愛用していましたが、特に凄い話があります。20tもある巨大なロードライト・ガーネットが採掘された際のことです。このガーネットの一部は、なんと、エカテリーナ2世の孫にあたるニコライ1世の棺に使われたのです!採掘後、研磨工房に運ぶのに100頭もの馬で曵いたとか。

18世紀初頭には、フランス宮廷でも昼間の装飾品としてガーネットが流行します。フランソワ2世に嫁いできたスコットランド女王のメアリーもまた、ガーネットを愛用したひとりです。

しかし、ガーネットの実りと団結・権力の象徴を如実に表現したといえば、なんといってハプスブルク家。ウィーン美術史美術館の宝石展示場にはハプスブルク家の財宝が所蔵されていますが、その中でも416カラットものアルマディン・ガーネットをしようした王家の紋章《双頭の鷲》は圧巻です。

ルドルフ2世が所有していたガーネットはあまりにも大きくて、その価値は計り知れないものだったとされてます。さらに、ハプスブルク家の権威を誇示する金羊毛勲章にも、ガーネットがあしらわれたものが数多く残っています。

また、同美術館に展示されている、王家の栄光の基礎を築き上げたマクシミリアン1世の肖像画では、彼のその左手にしっかりと柘榴の実が握られています。

これらの王家の繁栄は、まさにガーネットの持ち主に対する忠実な愛情が示されています。

さて、ここからはちょっと余談ですが…ガーネットが愛情と忠誠の証だとする話をもうひとつしましょう。

ガーネットはドイツでも多く産出されたため、ドイツにはガーネットにまつわる愛と忠誠の話がたくさん残されています。その中のひとつがかの有名なゲーテと年の離れた恋人・ウルリーケの話。

宝石の魅力を熟知した晩年のゲーテが愛したのは、当時19歳の宝石伝説を信じてやまない乙女・ウルリーケでした。彼女はゲーテと逢う時には必ず、パイローブ・ガーネットを身につけていたそうです。これは、年の離れた恋人に対する、彼女の変わらぬ愛の忠誠の証だったといわれています。そんな彼女だからこそ、ゲーテは年齢に関わらず、一途に彼女を想ったのでしょう。

ウルリーケは、ゲーテが82歳で天寿をまっとうするその時まで、このガーネットを手放しませんでした。この愛の証のパイローブ・ガーネットは現在、ボヘミア・ガーネット博物館に所蔵されています。