群青色の美しい宝石・ラピスラズリには強力で万能な力が宿っていると信じられています。

昔はこのラビスを粉にして絵の具として使用していました。西洋の教会の古い壁画や天井画にもこの、群青色がよく使われました。また、《真珠の首飾りの少女》で有名なフェルメールが愛した通称《フェルメール・ブルー》も、このラピスラズリを使ったものです。

ラピスラズリの和名は青金石ですが、東洋七珍(金・銀・珊瑚・瑠璃・破璃・瑪瑙・真珠)の呼び名である瑠璃の方が一般的に知られています。

宝石言葉は《健康/愛和》。宝石のメッセージは《清浄/信心/薬効・疫病払い》とされています。

ラピスラズリは上質なものには金の斑点があって、これはまるで夜空に浮かぶ星のようにもみえます。故に、宇宙エネルギーを彷彿させる石でもあり、仏教でも《瑠璃光》と呼称され、多くの教典の中でも、極楽浄土を彩る七宝として登場します。

こうしたことから、魂の浄土への導きが役王である薬師如来と結びつきます。室町時代には瑠璃には薬師如来が宿ると信じられるようになり、瑠璃に関する伝説も誕生します。

代表的な伝説が、邦楽《浄瑠璃》の起源となったといわれる、《浄瑠璃姫伝説》です。元々は薬師如来の化身である遊女・浄瑠璃御前と牛若丸こと源義経の悲恋が平家琵琶で民衆に語られていましたが、時代とともに多種多様に変化しました。

源義経と瑠璃姫の出逢いは、承安4年(1174)の春のことでした。義経が藤原秀衡を頼って陸奥へ向かう途中のことでした。三河の矢作の長者の館で世話になることになったのですが、そこの館の美しい娘こそが瑠璃姫だったのです。

ふたりは深く愛し合うようになりますが、義経には源氏再興のという大望があります。この里にいつまでも留まるわけにはいきませんでした。

義経は苦しんだ末、母の形見である横笛を瑠璃姫に預けます。「必ず迎えにくる」と言い残し、陸奥を目指して出発します。ところがひとり残された瑠璃姫は義経の大望成就を願い、自らその尊い命を絶ってしまったのです。

これが義経と瑠璃姫の悲恋の物語です。

西洋に於いて、ラピスラズリには《薬》《犠牲》などの意味があります。まさに瑠璃姫も義経の元気薬であり、彼の大望成就を願って犠牲を厭わなかった。そんな生き様ではなかったでしょうか。

宝石に宿った薬師如来の話から、義経と浄瑠璃御前の悲恋に、そして現代に伝わる浄瑠璃へ…これもラピスラズリがもたらした宝石の神秘なのかもしれませんね。