Authorbluefish2017

国王までも動かした!占星術に関わる星座石

西洋文化の中に於いて、占星術は政治にも影響を及ぼすほど大切なものでした。だからこそ、国の統治者は側近に、様々な知識に長けたものをおき、時には占星術者を身近におくこともありました。

重要な政治決断をする時など、王は有識者たちの言葉に耳を傾けると同時に、占星術をも頼りにしました。儀式を執り行うときも、こうした占星術による進言に基づいたものもたくさん行われてきたのです。

そのため、王の側で占星術に携わる者は、膨大な知識が必要とされ、占星術師や従医は博識な人で、王が信頼出来る人物が置かれました。

そんな占星術にも、宝石は深く関わりました。ベースとなった歴史は非常に古く、聖書の時代や神話の時代にまで関わっていきます。最終的には7つの太陽系惑星に当てはめられたものが星座に振り分けられ、その星座の下に生まれた人はその守護星に護られているとなります。そしてイコールでその惑星の影響を受けるとされる宝石たちは、その星座生まれの人の守護石となったわけです。さらにエレメントといって、星座は水・風・地・火に区分されました。

星座の7つの惑星の振り分けと守護石は次のようになります。

《水の星座》

魚座…海王星(ポセイドン)/守護石:アクアマリン・水晶

蠍座…冥王星(ハデス)/守護石:オパール・ルビー・ガーネット

蟹座…月(アルテミス)/守護石:真珠・ムーンストーン

《風の星座》

天秤座…金星(アプロディティ)/守護石:サファイア・ペリドット

双子座…水星(ヘルメス)/守護石:アレキサンドライト・シトリン

水瓶座…天王星(ウラノス)/守護石:アメジスト・ラピスラズリ

《地の星座》

牡牛座…金星(アプロディティ)/守護石:エメラルド

山羊座…土星(クロノス)/守護石:オニキス・サファイア

乙女座…水星(ヘルメス)/守護石:ローズクォーツ・モルガナイト

《火の星座》

獅子座…太陽(アポロン)/守護石:ダイヤモンド・タイガーアイ・琥珀

牡羊座…火星(アレス)/守護石:ルビー・ブラッドストーン

射手座…木星(ゼウス)/守護石:トパーズ・ターコイズ

同じ属性の星座の人とは相性がいいとされ、宝石もまた、同じ属性のものは副守護石として、御守としての相性がいいとされています。また、この関係性は宝石同士や宝石と人だけでなく、人と人との関係性にも生かされました。

つまり、水の星座に属する魚座の人の守護石はアクアマリンですが、同じ水の星座である蠍座や蟹座の守護石も、副守護石として魚座の人と相性がいい宝石となるのです。

誕生石と違い、星座の守護石が多いといわれるのはこの辺りに理由があります。

宝石は時に護符として、権威の象徴として、薬として、そして国をも動かす決断に助言を与える占星術との関連性を以て、、さまざまな形で人や社会に関わっていたのです。

宝石を輝かせるカット技術!どのくらい種類があるの?

お判りかとは思いますが、採掘されたその瞬間から、宝石はあんなに整った姿形をしているわけではありません。

原石の形は様々ですが、どの宝石たちも、そのままの姿ではハッとするような目映い輝きを醸し出すことはほとんどありません。あの輝きは理想の形に磨かれてこそ、引き出されるものなのです。

いろんなジュエリーを見てもわかるとおり、宝石のカットには実に多種多様な技術があります。その中でも最も単純なのが、カボッション・カット。

カットとはいっていますが、宝石の表面を磨き上げるもので、実際に切るようなことはありません。不透明なものや半透明のもの、キャッツアイ効果のある宝石によく使われる技術です。また、スタールビーやスターサファイア、スターガーネットもこの形が理想です。縞模様が入っている宝石も、この形で磨くと、独特の表情を見せるので素敵です。

ここからは実際に宝石を切るカット技術の話なります。

カットする際、「この宝石にはこのカット!」なんていう決まりはありませんが、その宝石の特性が生かしやすいということはあります。

ダイヤモンドの場合だと、ラウンド・ブリリアン・カットが1番美しいとされています。上から見ると多面カットの円形で横から見ると下部が逆三角形に尖っている、左右対称のカットです。しかし、ラウンド・ブリリアンカ・カットが開発される前までは、全体的なバランスは一緒でも、カット数が少ないローズ・カット系が主流で、薔薇のような光を生み出すカットは欧州ではアンティーク好みの人たちに今でも愛されています。ラウンド・ブリリアン・カットに近いオールド・ユーロピアン・カットや細かいカット数のジュビリー・カット。他にもカット数が少ない、スイス・カットなども。

また、同じ円状のものでも、ラウンド・ブリリアン・カットを楕円状にした、オーバル・カットという技法もあります。
エメラルドだとその傷や劈開性を生かした正方形や長方形のスクエア・エメラルド・カットが魅力的です。また同じスクエア・タイプでも、カットが細かいプリンセスカットや、反対にカットが少なめのスクエア・カット、テーブル・カット、フレンチ・カットなどがあります。ブリリアンとスクエアの中間のような、イングリッシュ・スクエア・ブリリアンというのもあります。

また、大粒の原石でしか作れないカットもあり、ドロップ・タイプのものがまさにそれです。ブリオレット・カットやパンビル・カットと呼ばれるものが主流で、豪華さを象徴するようなものによく使われます。

このカットの使い分けは、加工する石の状態や性質によって決められたり、光を強く出したいのか、色を強く出したいのかでも選択肢は変わります。

元々のカットをベースにして、独自のカットを施す人もいますから、そこまで考えると、もはや宝石のカットの可能性は無限大です。

しかし、上質なダイヤモンドの場合は、やはり1番オススメのカットは、ラウンド・ブリリアンでしょう。このカットはダイヤモンドを1番美しく輝かせるプロポーションをです。光が強すぎず、弱すぎず、最も綺麗な透明度と虹色を同時に放つ、ダイヤモンドのために作られた絶対的なプロポーションなのですから。

ラピスラズリにまつわる義経と浄瑠璃姫の悲恋

群青色の美しい宝石・ラピスラズリには強力で万能な力が宿っていると信じられています。

昔はこのラビスを粉にして絵の具として使用していました。西洋の教会の古い壁画や天井画にもこの、群青色がよく使われました。また、《真珠の首飾りの少女》で有名なフェルメールが愛した通称《フェルメール・ブルー》も、このラピスラズリを使ったものです。

ラピスラズリの和名は青金石ですが、東洋七珍(金・銀・珊瑚・瑠璃・破璃・瑪瑙・真珠)の呼び名である瑠璃の方が一般的に知られています。

宝石言葉は《健康/愛和》。宝石のメッセージは《清浄/信心/薬効・疫病払い》とされています。

ラピスラズリは上質なものには金の斑点があって、これはまるで夜空に浮かぶ星のようにもみえます。故に、宇宙エネルギーを彷彿させる石でもあり、仏教でも《瑠璃光》と呼称され、多くの教典の中でも、極楽浄土を彩る七宝として登場します。

こうしたことから、魂の浄土への導きが役王である薬師如来と結びつきます。室町時代には瑠璃には薬師如来が宿ると信じられるようになり、瑠璃に関する伝説も誕生します。

代表的な伝説が、邦楽《浄瑠璃》の起源となったといわれる、《浄瑠璃姫伝説》です。元々は薬師如来の化身である遊女・浄瑠璃御前と牛若丸こと源義経の悲恋が平家琵琶で民衆に語られていましたが、時代とともに多種多様に変化しました。

源義経と瑠璃姫の出逢いは、承安4年(1174)の春のことでした。義経が藤原秀衡を頼って陸奥へ向かう途中のことでした。三河の矢作の長者の館で世話になることになったのですが、そこの館の美しい娘こそが瑠璃姫だったのです。

ふたりは深く愛し合うようになりますが、義経には源氏再興のという大望があります。この里にいつまでも留まるわけにはいきませんでした。

義経は苦しんだ末、母の形見である横笛を瑠璃姫に預けます。「必ず迎えにくる」と言い残し、陸奥を目指して出発します。ところがひとり残された瑠璃姫は義経の大望成就を願い、自らその尊い命を絶ってしまったのです。

これが義経と瑠璃姫の悲恋の物語です。

西洋に於いて、ラピスラズリには《薬》《犠牲》などの意味があります。まさに瑠璃姫も義経の元気薬であり、彼の大望成就を願って犠牲を厭わなかった。そんな生き様ではなかったでしょうか。

宝石に宿った薬師如来の話から、義経と浄瑠璃御前の悲恋に、そして現代に伝わる浄瑠璃へ…これもラピスラズリがもたらした宝石の神秘なのかもしれませんね。

月の力が宿る不思議な石・ムーンストーンの神秘

遥か古より、月には不思議な力があると信じられてきました。

和名を月長石。陰のある青白い半透明の石の局面に浮かび上がって見えるのが特徴的で、この現象をシラー効果といいます。

これは余談ですが、同じ月長に属する宝石の中にはムーンストーンに対して、《サンストーン》というものもあります。これは名前の如く、太陽を象徴するような赤褐色で、和名も日長石となっています。

清楚で気品のあるこの姿に、愛好者は世界中に年々増えています。真珠同様に、デリケードな美しさと優しい乳光が魅力的な宝石です。また、ムーンストーンと真珠、どちらにも似たような伝承が多く残されています。

宝石言葉が《愛の予感》。宝石のメッセージが《悪魔を祓う/幸福》とされています。

ムーンストーンには数多くの言い伝えがありますが、月の力が宿り、夢魔や夜に出没する悪霊を祓う力があるということや、口に含んで願い事をすると叶うという言い伝えが有名です。

また、「古くから月が欠けた天体を元に戻すように、ムーンストーンは苦しんでいる人々から苦しみを取り除いて元に戻す。そしてこの宝石は月が欠ける時に用いると、様々な幸運に恵まれる」とマルボドゥスの《宝石誌》に記されています。

16世紀にはアントワーヌ・ミゾオ著の《月の秘密》という本に、ムーンストーンにまつわる面白い話が記されています。

ミゾオには旅行家の友人がいました。彼は当時のゴールド・ノーブル金貨ほどの大きさのムーンストーンを持っていて、「この石は月の満ち欠けに反応して、表面の白い斑点が大きくなったり小さくなったりする」ということを書き残しているのを知ります。

ミゾオは自分でも試したくなり、早速そのムーンストーンを友人に、1ヶ月だけの条件で借りることにしました。するとアラ不思議。最初はあわ粒ほどで石の丈夫にあった白い斑点が、徐々に大きくなりながら中央部に移動するではありませんか。丁度真ん中に来た時が1番大きく、その時が満月。そして月が欠け始めると粒は下の方へと移動し、だんだんと小さくなったのです。

そして、この不思議な石は後に、所有者から鑑識眼の優れた若き国王・エドワード6世に献上。王はこの石によって、多くのことを予知判断出来るようになったといい、生涯この石を大切にしたと締めくくられています。

このエドワード6世はヘンリー8世の子供で、エリザベス1世とは異母兄妹。エドワード8世は9歳で即位し、その6年後、15歳で亡くなりました。ミゾオが記したように、このエドワード6世に本当に優れた鑑識眼が備わっていたのだとしたら、それは父王・ヘンリー8世の影響が大きいでしょう。

ヘンリー8世は生涯、宝石に魅せられ、目映いばかりの宝石をその身に纏っていたとしてしられています。エドワード8世が亡き後、王位を継いだエリザベス1世もまた、月の影響を受けるとされた真珠を自身の象徴として、この上なく愛したとされています。

日本の国石・水晶は古代よりその神秘の力が尊ばれていた!

皆さん、日本の国石が水晶だって知っていました?良質な水晶が日本でも採掘されていることを知らない人、わりと多いんですよね。国石も真珠と勘違いされてたりもしますし。

ちなみに古来、日本では水晶は“水精”ともいわれてました。 

そんな水晶を国石とする我が国・日本には、水晶にまつわる話が結構残されています。

その中のひとつが、幻の女帝・神功皇后伝説です。神功皇后は日本の歴史上で、一番最初に水晶を手にした人物だと伝えられています。

彼女が登場する《日本書紀》によれば、神功皇后は巫女的能力の高い人で、そのご神託を聞かなかったばかりに、夫・仲哀天皇は病魔に襲われ、あっけなく崩御したとか。

その神功皇后が大切にしていたのが、豊浦の海で拾った水晶《如意玉》でした。もともと能力の高い神功皇后は、どんなものからでも占うことができ、なんとその能力で自分のお産までコントロールしたとか。その能力は《如意玉》を拾って以降、ますます発揮されました。

息子が応神天皇として即位してからも、母后として、ご神託による政治を69年間も行い、101歳で天寿をまっとうしたといいます。彼女が大切にしていた水晶は、現在、西宮市の広田神社にて御神宝として残されています。

が、しかし!実は彼女の存在自体が疑問視されていて、まさに幻の女帝。それでも、この時代にすでに、水晶の神秘の力に注目していた日本人が存在していたということは明らかです。

歴史的に実在が明らかな人物にも、水晶にまつわる話が残っています。

時は室町時代後期。天下取りを狙う権力者たちは領土を奪い合い、血族をも敵味方に分けて、骨肉の争いを繰り広げていました。親子、兄弟すべてが疑心暗鬼に包まれていた時代、武田信玄の父・武田信虎もまたそんなひとりでした。

それには理由がありました。ある日、信虎は信仰している寺の仏像の額に第三の眼である白毫を入れんと、水晶を持ってその寺に向かいます。その道中、信虎はふと水晶を取り出します。すると不思議なことに、そこにははっきりと、刀を手にした嫡男・晴信(後の信玄)の姿が映し出されていたのです。これを謀反の前触れだとみた信虎は、家督を晴信ではなく次男の信繁に継がせると断言。これがきっかけで、親子は不仲となり、対立することになるのです。

憎しみが深まり、争いが続き、ついに晴信は父・信虎を駿河(静岡県)追放し、娘婿の諏訪頼重を騙し討ち同然で切腹に追いやります。その後、彼の娘・諏訪御料人を妻に迎えて周囲を驚嘆させますが、まるで罪滅ぼしをするかのように、晴信は御料人を大切にしました。しかし、彼女は25歳で夫と8歳の息子・四郎を残して逝去。晴信は落胆します。

悲しみにくれる晴信の元に、京から水晶の研磨職人が訪れます。「大事な夫の出家祝いのためのものなので、親玉には“信玄”と刻んで欲しい」との注文を受けた水晶の念珠を届けにきたのだというのです。

自身の死を予見した妻が、自分亡き後の夫の落胆を案じて遺した最後の贈り物だったのです。「落胆せず、世のため人のため、仏に仕えて欲しい」という妻の祈念が込められていることを、晴信は受け取ります。入道した晴信は妻の水晶の念珠以外にも、いくつかの水晶の念珠を作らせます。名も信玄に改め、人が変わったように政策に打ち込みました。

信玄が亡き後は四郎が家督を継ぎ、8つの領土を支配し、甲斐と諏訪の架け橋となり、両親の夢を実現させます。信玄から受け継いだ水晶の念珠のひとつは、四郎の異母妹である信松尼(松姫)へと渡り、十分にその力を発揮しました。信松尼は人々に絹織りの指導をし、八王子織の始祖として信松院に奉られています。

美しさ故なのか…青いダイヤモンドの魔性伝説

燦然と輝くダイヤモンドは、その美しさや丈夫さから、不滅や永遠の愛の証とされる宝石です。しかし、美しいものにはなんとやら…ダイヤモンドには輝かしい光の伝説とともに、その光故に生まれる闇の伝説が多く残されています。

その中に、魅惑の魔性伝説で語り継がれ、現存する、最も有名なダイヤモンドがあります。

持ち主を不幸にする魔性の青きダイヤモンド───その名は《ホープ》。

名を知らずとも、持ち主が次々と不幸な死に方をしたというダイヤモンド伝説は聞いたことがあるでしょう。

ルイ14世はフランスの王家でも特に宝石蒐集家として有名でした。タヴェルニエはその皇帝の王命を受け、欧州人初のムガール帝国訪問者となります。そこで多くの宝石を入手し、王に献上。この中には青く美しいダイヤモンドがあり、王はこれを非常に喜び、代価とともに男爵の商号を彼に与えます。この青い宝石は《フランスの王の青》と名付けられ、ルイ王家宝石目録の最初の頁に加えられました。これが後の呪いの青いダイヤモンド《ホープ》です。

この青いダイヤモンドはムガール帝国の仏像の額にあったもので、入手経緯がはっきりせず、タヴェルニエが仏像から勝手に抜き取ってきたものという説がありますが、彼はこれを否定しています。伝承だけは確実でした。実はこのダイヤモンドには「手にした者を不幸にする」という伝承があったのです。

最初に手にした司令官は自殺。司令官から献上された王は家臣の反逆によって無惨に殺されます。そして、タヴェルニエは築いた財を息子によって失います。老体に鞭打って旅に出るものの、旅先で死亡。その後、ルイ14世が天然痘で死去すると、人々は「青いダイヤの呪いだ」と噂しました。

《フランスの王の青》はマリー・アントワネットも非常に気に入った宝石でした。彼女が夫とともに断頭台に送られた時、人々の間では、青いダイヤの呪いは信憑性をもって囁かれることとなったのです。

このダイヤモンドは代々王家に伝わったのですが、フランス革命後に新政府が王家の財産をすべて没収したところ、この中に《フランスの王の青》はありませんでした。

「青のダイヤが盗まれた」という噂がパリ流れた春のある日、アルステルダムの宝石のカット職人の下に2、3個にカットして欲しいと、青いダイヤモンドが持ち込まれました。職人は要望どおりにそれをカットしますが、それを職人の息子が持ち出して売ってしまいます。責任を感じた職人は自殺し、それを知った息子は自責の念にかられ、父を追って自殺しました。

月日が過ぎたある日、餓死寸前のフランス人が、ロンドンの宝石商の男のもとへ青いダイヤモンドを持ち込み、宝石商の男は5,000ポンドで引き取ります。顧客である銀行家、ヘンリー・フィリップ・ホープにこのダイヤモンドを見せると、彼はこのダイヤモンドを非常に気に入って18,000ポンドで買い取ります。

これこそ、あの《フランスの王の青》でした。この時以来、《ホープ》と呼ばれるようになります。ダイヤモンドの身元が判明したのは、ホープがロンドン万博で出展したことで、宝石研究第一人者により判明したのです。

ホープ氏は生涯独身で死去。一族は破産します。宝石を相続したフランシス・ホープは気味が悪くなって宝石を売却しました。やがて《ホープ》は多くの人間の手に渡りますが、所有した人々の人生を破滅させ、時に不幸な死を与え、時には盗難されたりとめまぐるしい旅をします。

現在はワシントンのスミソニアン自然史博物館に寄贈されており、《ホープ》はようやく安住の場を得て、世界で最も有名な青いダイヤモンドとして静かに過ごしています。

(結婚指輪の購入・・・宝石に魅せられてどうしても欲しい!という人はブライダルローンも検討してみては?)

世界の名家に繁栄と栄華をもたらしたガーネット

ロマノフ王朝、ブルボン王朝、ハプスブルク王朝…などなど、世界中の繁栄と栄華を極めた王家は、数多くの秘宝と呼ばれる宝石たちを所有していました。

どの王朝の宝石・宝飾史を紐解いてみても、その高価な宝石たちの中には必ず、深紅のガーネットが存在し、重要な位置を占めていたことがわかります。

これらの王家が統治していた国のほとんどからガーネットが採れたことや、赤い柘榴の実が一族の実りと血脈の象徴とされたことで明らかです。

ロシアのロマノフ王家は帝政ロシア時代にはロードライト・ガーネットを国石としていました。ウラル鉱山から多くの宝石が産出されましたが、ロードライト・ガーネットの大半はここから産出していました。

ロマノフ王朝時代には、宮廷を始めとして、多くの貴族たちがロードライト・ガーネットの装飾品を愛用していましたが、特に凄い話があります。20tもある巨大なロードライト・ガーネットが採掘された際のことです。このガーネットの一部は、なんと、エカテリーナ2世の孫にあたるニコライ1世の棺に使われたのです!採掘後、研磨工房に運ぶのに100頭もの馬で曵いたとか。

18世紀初頭には、フランス宮廷でも昼間の装飾品としてガーネットが流行します。フランソワ2世に嫁いできたスコットランド女王のメアリーもまた、ガーネットを愛用したひとりです。

しかし、ガーネットの実りと団結・権力の象徴を如実に表現したといえば、なんといってハプスブルク家。ウィーン美術史美術館の宝石展示場にはハプスブルク家の財宝が所蔵されていますが、その中でも416カラットものアルマディン・ガーネットをしようした王家の紋章《双頭の鷲》は圧巻です。

ルドルフ2世が所有していたガーネットはあまりにも大きくて、その価値は計り知れないものだったとされてます。さらに、ハプスブルク家の権威を誇示する金羊毛勲章にも、ガーネットがあしらわれたものが数多く残っています。

また、同美術館に展示されている、王家の栄光の基礎を築き上げたマクシミリアン1世の肖像画では、彼のその左手にしっかりと柘榴の実が握られています。

これらの王家の繁栄は、まさにガーネットの持ち主に対する忠実な愛情が示されています。

さて、ここからはちょっと余談ですが…ガーネットが愛情と忠誠の証だとする話をもうひとつしましょう。

ガーネットはドイツでも多く産出されたため、ドイツにはガーネットにまつわる愛と忠誠の話がたくさん残されています。その中のひとつがかの有名なゲーテと年の離れた恋人・ウルリーケの話。

宝石の魅力を熟知した晩年のゲーテが愛したのは、当時19歳の宝石伝説を信じてやまない乙女・ウルリーケでした。彼女はゲーテと逢う時には必ず、パイローブ・ガーネットを身につけていたそうです。これは、年の離れた恋人に対する、彼女の変わらぬ愛の忠誠の証だったといわれています。そんな彼女だからこそ、ゲーテは年齢に関わらず、一途に彼女を想ったのでしょう。

ウルリーケは、ゲーテが82歳で天寿をまっとうするその時まで、このガーネットを手放しませんでした。この愛の証のパイローブ・ガーネットは現在、ボヘミア・ガーネット博物館に所蔵されています。

夫婦の輝く愛の絆!結婚記念日に贈る宝石・結婚記念石

永遠の愛を誓ったふたりが婚約する時にダイヤの指輪を贈る習慣があるのは、多くの人が知るところ。もはや一般常識の範囲です。

その結婚後の結婚記念日。夫婦が互いを伴侶としたその日は、互いに取って特別な日。よく、長年連れ添った夫婦には、節目として銀婚式とか金婚式がよく知られています。

しかし、実は結婚記念日が周期毎に名前がついていて、宝石に関するものがたくさんあるということを知っている人は意外と少ないのではないですか?

周期によって設定されているものは、国や書物によって若干ことなりますが、ここでは宝石や宝石細工に施されるものにまつわる名前がついている、日本における結婚記念日の周期名の一例を紹介します!

10周年…錫婚/アルミ

12周年…瑪瑙婚/アゲート

13周年…月長石婚/ムーンストーン

14周年…苔瑪瑙婚/モス・アゲート

15周年…水晶婚・銅婚/ロック・クリスタル

16周年…黄玉婚/トパーズ

17周年…紫水晶婚/アメジスト

18周年…柘榴婚/ガーネット

19周年…風信子婚/ジルコン

20周年…陶器婚

23周年…青玉婚/ブルー・サファイア

25周年…銀婚

26周年…星条青玉婚/ブルー・スター・サファイア

30周年…真珠婚・象牙婚/パール

35周年…珊瑚婚/コーラル

39周年…猫目石婚/キャッツ・アイ

40周年…紅玉婚/ルビー

45周年…アレクサンドライト婚

50周年…金婚

52周年…星条紅玉婚/スター・ルビー

55周年…翠玉婚/エメラルド、ジェード

60周年…黄金剛婚/イエロー・ダイヤモンド

65周年…星条青玉婚/グレー・スター・サファイア

67周年…星条青玉婚/パープル・スター・サファイア

75周年…金剛石婚/ダイヤモンド

これらは宝石の性質や宝石言葉の意味に由来してつけられていることが多いのですが、それにあやかってか、近年はこの名前の宝石や宝飾品を贈ったり、お揃いで購入したりする夫婦も増えています。

その都度、互いの存在を確かめ合い、その絆をより深めるものとして、宝石はその輝きと神秘の力でふたりを支えてくれるのではないでしょうか。ここにもまた、古来から信じられている宝石の力にあやかる、人間の深層部分が垣間見えます。

宝石に関わらず、結婚記念日にその周期にあやかった贈り物をするというのは、これまでの夫婦でいられた感謝や互いの変わらぬ愛情、そしてこれからのふたりを誓い合うための証…なんだか素敵ですよね。

豪華な食事や宿泊も素敵だけれど、こういった神秘や言い伝えにあやかった習慣も取り入れてみると、宝石の神秘の力がふたりをより支えてくれるでしょう。

人に貰うと幸せになれる?ターコイズの不思議な話

トルコ石とも呼ばれるターコイズですが、産出国がトルコではなく、13世紀に商人によってトルコに持ち込まれ、この頃からトルコ石の名がつきました。和名は藍玉石。

旅の御守として有名なターコイズですが、その性質にはちょっと変わったところがあって、「人から貰うと幸せになれる」といい、関係性が悪い人に贈ると、その間柄が中和されるともされています。

人に贈ることで幸せを与えるこの宝石が、贈り物をする機会が多い12月の誕生石に選ばれたのも、なんとなくわかる気がします。

宝石言葉は《成功/命中》。宝石のメッセージは《旅の守護/繁栄/与える喜び》です。

ターコイズには御守としての様々な伝承があります。旅の守護石が人生の旅の守護をしてくれると考えられるようになり、成功の御守としても身につけられるようになります。古代アステカ・マヤ、中央アジアやアフリカなど、世界の様々な地域では命中の御守として武器に嵌め込まれていました。

また、ターコイズには変色することで持ち主に異変を伝えるといい、これはターコイズが熱や汗で変色しやすく、体温にも敏感に反応することに起因しています。

そんなターコイズには、医師が体験した不思議な話が残されています。

希代の宝石愛好家の中に、ハプスブルク家のルドルフ2世がいます。錬金術に力を注ぎ、宝石愛好家として名を残す歴代の皇帝たちの中でも、宝石に造詣の深い君主として有名です。

そのルドルフ2世と宝石を結びつけた存在が、従医のアルセルムス・デ・プート。当時、従医は占星術や人生相談なども受けていましたから、彼もまた、ルドルフ皇帝に多くの宝石の話を聞かせる機会があったでしょう。

デ・プートは特にターコイズにご執心な医師で、著書の《宝石の歴史》にもターコイズにまつわる不思議な話をいくつも残しています。その中で特に有名なのが、彼自身の体験した話です。

あるスペイン人が、長年愛用し続けたターコイズを売りに出すことにしました。すっかり色褪せたそれは、とても宝石とは呼び難い状態でしたが、デ・プートの父はそれを買い求め、「この石は、人から貰った時のみにその効力を発揮するという。嘘か誠か…これをお前にあげるから、まずは試してみるといい」といって、息子に与えます。

デ・プートにはただ同然で買った石に対する言い訳のようにも感じられましたが、せっかく父から貰ったものなので、彫刻をして印章にし、いつも大切に持ち歩いていました。すると不思議なことに、1ヶ月もするとたちまち輝きを取り戻し、美しいターコイズ・ブルーの宝石として甦ったのです!

後にデ・プートはイタリア留学をします。学業を終え、いざボヘミアへ帰国となった時、険しい帰路を夜中に通過しなくてはいけなくなります。通過中、事故は起きました。彼の乗った馬車が転倒したのです。地面に叩きつけられたデ・プートでしたが、なんと無傷。ふと腕につけていたターコイズをみると、4分の1ほどが欠けてなくなっていました。石が身代わりになってくれたのです。

さらにターコイズの不思議は続きます。デ・プートは重い棒を担いだ際に、脇腹に激痛を覚えます。骨が折れたかとも思いましたが、身体に異常はなく、代わりにターコイズがまっぷたつに折れていたのです。

男性たちの必需品としてこぞってターコイズを身につけ、17世紀初頭までターコイズはその人気を博しました。

ターコイズには最も優れているとされるイラン産の美しい深みのあるブルーのもの、少し緑がかったエジプト産のもののほか、米国産のネットという黒もしくは褐色の縞目が入ったもとのとがあります。米国ではこの縞目が綺麗に入ったものが珍重されています。

トパーズの指輪は古代ギリシャ・ローマの紳士の条件だった!?

枯れ葉の散る秋の色。11月の黄昏。ブランデーの色…これらは11月の誕生石・トパーズを表現した言葉です。黄色い宝石の代表ともいえるトパーズの宝石言葉は《友愛/希望》。宝石のメッセージは《幸福/友情/洞察力》です。

トパーズという名はギリシャ語に由来し、「探し求める」という意味を持ちます。トパーズが多く産出された紅海の島々は、深い霧に包まれていて探すことが困難だったため、船乗りたちが《トパーズ島》と呼んでいたことが語源になったといいます。同時に、これまたトパーズの産出国だった古代インドを起因とする説もあり、サンスクリット語の《火》という意味だともいわれています。実は古代にはトパーズという言葉は現在のペリドットやクリソライトを、反対にペリドットが現在のトパーズとクリソライトを指していました。

トパーズの採掘方法として、紀元前一世紀の書物に面白い記述があります。その書物によると、「トパズソ(トパーズ)は昼間に在り処を探すことは出来ない。夜になると光るので、そこに目印をつけ、翌日にその目印を頼りに採掘する」というものです。

この「夜になると光る」ということが起源となり、トパーズには様々な言い伝えが誕生します。

語源の“探し求める”の延長上に《幸福》が、採掘方法方法の“光をみつける”が《洞察力》、“夜になると光る”ことが《悪魔を祓う》などとされ、《幸福になる》という言い伝えに派生していきました。

トパーズの一般的な宝石言葉は《友愛》ですが、これには肌身離さず持つことで真の友人も愛も一生涯話さずにいられると信じられています。真実の友情も愛情も手にすることが難しいことから、“探し求める”というトパーズの語源に関連して選ばれたと考えられたのでしょう。

古代ギリシャ・ローマでは、太陽と黄金をを象徴するトパーズとクリソライトが特に愛されました。特にローマ人男性は多くの指に指輪をたくさん嵌めていましたから、その指に似合うトパーズが非常に好まれたのです。

この時代は、指輪を嵌めることと、ダクティリオカという指輪を保管するための宝石箱を所有することが紳士のたしなみであり、条件とされていました。当時の男性たちは、紳士の証として信じられないほどの指輪をその指に嵌めていました。

アレクサンダー大王の少年期に3年間、教育係として仕えたとして有名な哲学者・アリストテレスもまた、そんな男性たちのひとりでした。

アリストテレスは性格や風貌が派手で、それは贅沢好みの男だったいいます。なんと、すべての指に嵌めることができるのかと思うほど大量の指輪を嵌めていたというから驚きです。それを注意したのが、師であるプラトン。それが原因でふたりは不仲だったとも…。そんなプラトン自身だって、たくさんの指輪を嵌めていたといいますから、結局、ふたりとも流行を追っていたんですねぇ。

トパーズといえば黄色の透明石という印象が強い宝石ですが、赤や淡褐色、ピンクや、オレンジ、淡緑色、青、無色などのたくさんの色が存在します。

米国・NYの自然史博物館には世界で最も美しいといわれるトパーズが所蔵されていて、水色で463カラットもあるといいます。この宝石、実は純日本産。この事実は意外と知られていません。

現在、黄色の透明石は黄水晶のシトリンやアメジストを加熱処理したリオ・グランデシトリンなどを始めとして、30にも及ぶ種類があるといいます。そのため、トパーズに関するトラブルや誤解は後を絶ちません。専門家の間では、これらを区別するために、本来のトパーズを《プレシャス・トパーズ》とか《インペリア・トパーズ》と呼んでいます。

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