Month2月 2015

世界の名家に繁栄と栄華をもたらしたガーネット

ロマノフ王朝、ブルボン王朝、ハプスブルク王朝…などなど、世界中の繁栄と栄華を極めた王家は、数多くの秘宝と呼ばれる宝石たちを所有していました。

どの王朝の宝石・宝飾史を紐解いてみても、その高価な宝石たちの中には必ず、深紅のガーネットが存在し、重要な位置を占めていたことがわかります。

これらの王家が統治していた国のほとんどからガーネットが採れたことや、赤い柘榴の実が一族の実りと血脈の象徴とされたことで明らかです。

ロシアのロマノフ王家は帝政ロシア時代にはロードライト・ガーネットを国石としていました。ウラル鉱山から多くの宝石が産出されましたが、ロードライト・ガーネットの大半はここから産出していました。

ロマノフ王朝時代には、宮廷を始めとして、多くの貴族たちがロードライト・ガーネットの装飾品を愛用していましたが、特に凄い話があります。20tもある巨大なロードライト・ガーネットが採掘された際のことです。このガーネットの一部は、なんと、エカテリーナ2世の孫にあたるニコライ1世の棺に使われたのです!採掘後、研磨工房に運ぶのに100頭もの馬で曵いたとか。

18世紀初頭には、フランス宮廷でも昼間の装飾品としてガーネットが流行します。フランソワ2世に嫁いできたスコットランド女王のメアリーもまた、ガーネットを愛用したひとりです。

しかし、ガーネットの実りと団結・権力の象徴を如実に表現したといえば、なんといってハプスブルク家。ウィーン美術史美術館の宝石展示場にはハプスブルク家の財宝が所蔵されていますが、その中でも416カラットものアルマディン・ガーネットをしようした王家の紋章《双頭の鷲》は圧巻です。

ルドルフ2世が所有していたガーネットはあまりにも大きくて、その価値は計り知れないものだったとされてます。さらに、ハプスブルク家の権威を誇示する金羊毛勲章にも、ガーネットがあしらわれたものが数多く残っています。

また、同美術館に展示されている、王家の栄光の基礎を築き上げたマクシミリアン1世の肖像画では、彼のその左手にしっかりと柘榴の実が握られています。

これらの王家の繁栄は、まさにガーネットの持ち主に対する忠実な愛情が示されています。

さて、ここからはちょっと余談ですが…ガーネットが愛情と忠誠の証だとする話をもうひとつしましょう。

ガーネットはドイツでも多く産出されたため、ドイツにはガーネットにまつわる愛と忠誠の話がたくさん残されています。その中のひとつがかの有名なゲーテと年の離れた恋人・ウルリーケの話。

宝石の魅力を熟知した晩年のゲーテが愛したのは、当時19歳の宝石伝説を信じてやまない乙女・ウルリーケでした。彼女はゲーテと逢う時には必ず、パイローブ・ガーネットを身につけていたそうです。これは、年の離れた恋人に対する、彼女の変わらぬ愛の忠誠の証だったといわれています。そんな彼女だからこそ、ゲーテは年齢に関わらず、一途に彼女を想ったのでしょう。

ウルリーケは、ゲーテが82歳で天寿をまっとうするその時まで、このガーネットを手放しませんでした。この愛の証のパイローブ・ガーネットは現在、ボヘミア・ガーネット博物館に所蔵されています。

夫婦の輝く愛の絆!結婚記念日に贈る宝石・結婚記念石

永遠の愛を誓ったふたりが婚約する時にダイヤの指輪を贈る習慣があるのは、多くの人が知るところ。もはや一般常識の範囲です。

その結婚後の結婚記念日。夫婦が互いを伴侶としたその日は、互いに取って特別な日。よく、長年連れ添った夫婦には、節目として銀婚式とか金婚式がよく知られています。

しかし、実は結婚記念日が周期毎に名前がついていて、宝石に関するものがたくさんあるということを知っている人は意外と少ないのではないですか?

周期によって設定されているものは、国や書物によって若干ことなりますが、ここでは宝石や宝石細工に施されるものにまつわる名前がついている、日本における結婚記念日の周期名の一例を紹介します!

10周年…錫婚/アルミ

12周年…瑪瑙婚/アゲート

13周年…月長石婚/ムーンストーン

14周年…苔瑪瑙婚/モス・アゲート

15周年…水晶婚・銅婚/ロック・クリスタル

16周年…黄玉婚/トパーズ

17周年…紫水晶婚/アメジスト

18周年…柘榴婚/ガーネット

19周年…風信子婚/ジルコン

20周年…陶器婚

23周年…青玉婚/ブルー・サファイア

25周年…銀婚

26周年…星条青玉婚/ブルー・スター・サファイア

30周年…真珠婚・象牙婚/パール

35周年…珊瑚婚/コーラル

39周年…猫目石婚/キャッツ・アイ

40周年…紅玉婚/ルビー

45周年…アレクサンドライト婚

50周年…金婚

52周年…星条紅玉婚/スター・ルビー

55周年…翠玉婚/エメラルド、ジェード

60周年…黄金剛婚/イエロー・ダイヤモンド

65周年…星条青玉婚/グレー・スター・サファイア

67周年…星条青玉婚/パープル・スター・サファイア

75周年…金剛石婚/ダイヤモンド

これらは宝石の性質や宝石言葉の意味に由来してつけられていることが多いのですが、それにあやかってか、近年はこの名前の宝石や宝飾品を贈ったり、お揃いで購入したりする夫婦も増えています。

その都度、互いの存在を確かめ合い、その絆をより深めるものとして、宝石はその輝きと神秘の力でふたりを支えてくれるのではないでしょうか。ここにもまた、古来から信じられている宝石の力にあやかる、人間の深層部分が垣間見えます。

宝石に関わらず、結婚記念日にその周期にあやかった贈り物をするというのは、これまでの夫婦でいられた感謝や互いの変わらぬ愛情、そしてこれからのふたりを誓い合うための証…なんだか素敵ですよね。

豪華な食事や宿泊も素敵だけれど、こういった神秘や言い伝えにあやかった習慣も取り入れてみると、宝石の神秘の力がふたりをより支えてくれるでしょう。

人に貰うと幸せになれる?ターコイズの不思議な話

トルコ石とも呼ばれるターコイズですが、産出国がトルコではなく、13世紀に商人によってトルコに持ち込まれ、この頃からトルコ石の名がつきました。和名は藍玉石。

旅の御守として有名なターコイズですが、その性質にはちょっと変わったところがあって、「人から貰うと幸せになれる」といい、関係性が悪い人に贈ると、その間柄が中和されるともされています。

人に贈ることで幸せを与えるこの宝石が、贈り物をする機会が多い12月の誕生石に選ばれたのも、なんとなくわかる気がします。

宝石言葉は《成功/命中》。宝石のメッセージは《旅の守護/繁栄/与える喜び》です。

ターコイズには御守としての様々な伝承があります。旅の守護石が人生の旅の守護をしてくれると考えられるようになり、成功の御守としても身につけられるようになります。古代アステカ・マヤ、中央アジアやアフリカなど、世界の様々な地域では命中の御守として武器に嵌め込まれていました。

また、ターコイズには変色することで持ち主に異変を伝えるといい、これはターコイズが熱や汗で変色しやすく、体温にも敏感に反応することに起因しています。

そんなターコイズには、医師が体験した不思議な話が残されています。

希代の宝石愛好家の中に、ハプスブルク家のルドルフ2世がいます。錬金術に力を注ぎ、宝石愛好家として名を残す歴代の皇帝たちの中でも、宝石に造詣の深い君主として有名です。

そのルドルフ2世と宝石を結びつけた存在が、従医のアルセルムス・デ・プート。当時、従医は占星術や人生相談なども受けていましたから、彼もまた、ルドルフ皇帝に多くの宝石の話を聞かせる機会があったでしょう。

デ・プートは特にターコイズにご執心な医師で、著書の《宝石の歴史》にもターコイズにまつわる不思議な話をいくつも残しています。その中で特に有名なのが、彼自身の体験した話です。

あるスペイン人が、長年愛用し続けたターコイズを売りに出すことにしました。すっかり色褪せたそれは、とても宝石とは呼び難い状態でしたが、デ・プートの父はそれを買い求め、「この石は、人から貰った時のみにその効力を発揮するという。嘘か誠か…これをお前にあげるから、まずは試してみるといい」といって、息子に与えます。

デ・プートにはただ同然で買った石に対する言い訳のようにも感じられましたが、せっかく父から貰ったものなので、彫刻をして印章にし、いつも大切に持ち歩いていました。すると不思議なことに、1ヶ月もするとたちまち輝きを取り戻し、美しいターコイズ・ブルーの宝石として甦ったのです!

後にデ・プートはイタリア留学をします。学業を終え、いざボヘミアへ帰国となった時、険しい帰路を夜中に通過しなくてはいけなくなります。通過中、事故は起きました。彼の乗った馬車が転倒したのです。地面に叩きつけられたデ・プートでしたが、なんと無傷。ふと腕につけていたターコイズをみると、4分の1ほどが欠けてなくなっていました。石が身代わりになってくれたのです。

さらにターコイズの不思議は続きます。デ・プートは重い棒を担いだ際に、脇腹に激痛を覚えます。骨が折れたかとも思いましたが、身体に異常はなく、代わりにターコイズがまっぷたつに折れていたのです。

男性たちの必需品としてこぞってターコイズを身につけ、17世紀初頭までターコイズはその人気を博しました。

ターコイズには最も優れているとされるイラン産の美しい深みのあるブルーのもの、少し緑がかったエジプト産のもののほか、米国産のネットという黒もしくは褐色の縞目が入ったもとのとがあります。米国ではこの縞目が綺麗に入ったものが珍重されています。

トパーズの指輪は古代ギリシャ・ローマの紳士の条件だった!?

枯れ葉の散る秋の色。11月の黄昏。ブランデーの色…これらは11月の誕生石・トパーズを表現した言葉です。黄色い宝石の代表ともいえるトパーズの宝石言葉は《友愛/希望》。宝石のメッセージは《幸福/友情/洞察力》です。

トパーズという名はギリシャ語に由来し、「探し求める」という意味を持ちます。トパーズが多く産出された紅海の島々は、深い霧に包まれていて探すことが困難だったため、船乗りたちが《トパーズ島》と呼んでいたことが語源になったといいます。同時に、これまたトパーズの産出国だった古代インドを起因とする説もあり、サンスクリット語の《火》という意味だともいわれています。実は古代にはトパーズという言葉は現在のペリドットやクリソライトを、反対にペリドットが現在のトパーズとクリソライトを指していました。

トパーズの採掘方法として、紀元前一世紀の書物に面白い記述があります。その書物によると、「トパズソ(トパーズ)は昼間に在り処を探すことは出来ない。夜になると光るので、そこに目印をつけ、翌日にその目印を頼りに採掘する」というものです。

この「夜になると光る」ということが起源となり、トパーズには様々な言い伝えが誕生します。

語源の“探し求める”の延長上に《幸福》が、採掘方法方法の“光をみつける”が《洞察力》、“夜になると光る”ことが《悪魔を祓う》などとされ、《幸福になる》という言い伝えに派生していきました。

トパーズの一般的な宝石言葉は《友愛》ですが、これには肌身離さず持つことで真の友人も愛も一生涯話さずにいられると信じられています。真実の友情も愛情も手にすることが難しいことから、“探し求める”というトパーズの語源に関連して選ばれたと考えられたのでしょう。

古代ギリシャ・ローマでは、太陽と黄金をを象徴するトパーズとクリソライトが特に愛されました。特にローマ人男性は多くの指に指輪をたくさん嵌めていましたから、その指に似合うトパーズが非常に好まれたのです。

この時代は、指輪を嵌めることと、ダクティリオカという指輪を保管するための宝石箱を所有することが紳士のたしなみであり、条件とされていました。当時の男性たちは、紳士の証として信じられないほどの指輪をその指に嵌めていました。

アレクサンダー大王の少年期に3年間、教育係として仕えたとして有名な哲学者・アリストテレスもまた、そんな男性たちのひとりでした。

アリストテレスは性格や風貌が派手で、それは贅沢好みの男だったいいます。なんと、すべての指に嵌めることができるのかと思うほど大量の指輪を嵌めていたというから驚きです。それを注意したのが、師であるプラトン。それが原因でふたりは不仲だったとも…。そんなプラトン自身だって、たくさんの指輪を嵌めていたといいますから、結局、ふたりとも流行を追っていたんですねぇ。

トパーズといえば黄色の透明石という印象が強い宝石ですが、赤や淡褐色、ピンクや、オレンジ、淡緑色、青、無色などのたくさんの色が存在します。

米国・NYの自然史博物館には世界で最も美しいといわれるトパーズが所蔵されていて、水色で463カラットもあるといいます。この宝石、実は純日本産。この事実は意外と知られていません。

現在、黄色の透明石は黄水晶のシトリンやアメジストを加熱処理したリオ・グランデシトリンなどを始めとして、30にも及ぶ種類があるといいます。そのため、トパーズに関するトラブルや誤解は後を絶ちません。専門家の間では、これらを区別するために、本来のトパーズを《プレシャス・トパーズ》とか《インペリア・トパーズ》と呼んでいます。

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