Month3月 2015

国王までも動かした!占星術に関わる星座石

西洋文化の中に於いて、占星術は政治にも影響を及ぼすほど大切なものでした。だからこそ、国の統治者は側近に、様々な知識に長けたものをおき、時には占星術者を身近におくこともありました。

重要な政治決断をする時など、王は有識者たちの言葉に耳を傾けると同時に、占星術をも頼りにしました。儀式を執り行うときも、こうした占星術による進言に基づいたものもたくさん行われてきたのです。

そのため、王の側で占星術に携わる者は、膨大な知識が必要とされ、占星術師や従医は博識な人で、王が信頼出来る人物が置かれました。

そんな占星術にも、宝石は深く関わりました。ベースとなった歴史は非常に古く、聖書の時代や神話の時代にまで関わっていきます。最終的には7つの太陽系惑星に当てはめられたものが星座に振り分けられ、その星座の下に生まれた人はその守護星に護られているとなります。そしてイコールでその惑星の影響を受けるとされる宝石たちは、その星座生まれの人の守護石となったわけです。さらにエレメントといって、星座は水・風・地・火に区分されました。

星座の7つの惑星の振り分けと守護石は次のようになります。

《水の星座》

魚座…海王星(ポセイドン)/守護石:アクアマリン・水晶

蠍座…冥王星(ハデス)/守護石:オパール・ルビー・ガーネット

蟹座…月(アルテミス)/守護石:真珠・ムーンストーン

《風の星座》

天秤座…金星(アプロディティ)/守護石:サファイア・ペリドット

双子座…水星(ヘルメス)/守護石:アレキサンドライト・シトリン

水瓶座…天王星(ウラノス)/守護石:アメジスト・ラピスラズリ

《地の星座》

牡牛座…金星(アプロディティ)/守護石:エメラルド

山羊座…土星(クロノス)/守護石:オニキス・サファイア

乙女座…水星(ヘルメス)/守護石:ローズクォーツ・モルガナイト

《火の星座》

獅子座…太陽(アポロン)/守護石:ダイヤモンド・タイガーアイ・琥珀

牡羊座…火星(アレス)/守護石:ルビー・ブラッドストーン

射手座…木星(ゼウス)/守護石:トパーズ・ターコイズ

同じ属性の星座の人とは相性がいいとされ、宝石もまた、同じ属性のものは副守護石として、御守としての相性がいいとされています。また、この関係性は宝石同士や宝石と人だけでなく、人と人との関係性にも生かされました。

つまり、水の星座に属する魚座の人の守護石はアクアマリンですが、同じ水の星座である蠍座や蟹座の守護石も、副守護石として魚座の人と相性がいい宝石となるのです。

誕生石と違い、星座の守護石が多いといわれるのはこの辺りに理由があります。

宝石は時に護符として、権威の象徴として、薬として、そして国をも動かす決断に助言を与える占星術との関連性を以て、、さまざまな形で人や社会に関わっていたのです。

宝石を輝かせるカット技術!どのくらい種類があるの?

お判りかとは思いますが、採掘されたその瞬間から、宝石はあんなに整った姿形をしているわけではありません。

原石の形は様々ですが、どの宝石たちも、そのままの姿ではハッとするような目映い輝きを醸し出すことはほとんどありません。あの輝きは理想の形に磨かれてこそ、引き出されるものなのです。

いろんなジュエリーを見てもわかるとおり、宝石のカットには実に多種多様な技術があります。その中でも最も単純なのが、カボッション・カット。

カットとはいっていますが、宝石の表面を磨き上げるもので、実際に切るようなことはありません。不透明なものや半透明のもの、キャッツアイ効果のある宝石によく使われる技術です。また、スタールビーやスターサファイア、スターガーネットもこの形が理想です。縞模様が入っている宝石も、この形で磨くと、独特の表情を見せるので素敵です。

ここからは実際に宝石を切るカット技術の話なります。

カットする際、「この宝石にはこのカット!」なんていう決まりはありませんが、その宝石の特性が生かしやすいということはあります。

ダイヤモンドの場合だと、ラウンド・ブリリアン・カットが1番美しいとされています。上から見ると多面カットの円形で横から見ると下部が逆三角形に尖っている、左右対称のカットです。しかし、ラウンド・ブリリアンカ・カットが開発される前までは、全体的なバランスは一緒でも、カット数が少ないローズ・カット系が主流で、薔薇のような光を生み出すカットは欧州ではアンティーク好みの人たちに今でも愛されています。ラウンド・ブリリアン・カットに近いオールド・ユーロピアン・カットや細かいカット数のジュビリー・カット。他にもカット数が少ない、スイス・カットなども。

また、同じ円状のものでも、ラウンド・ブリリアン・カットを楕円状にした、オーバル・カットという技法もあります。
エメラルドだとその傷や劈開性を生かした正方形や長方形のスクエア・エメラルド・カットが魅力的です。また同じスクエア・タイプでも、カットが細かいプリンセスカットや、反対にカットが少なめのスクエア・カット、テーブル・カット、フレンチ・カットなどがあります。ブリリアンとスクエアの中間のような、イングリッシュ・スクエア・ブリリアンというのもあります。

また、大粒の原石でしか作れないカットもあり、ドロップ・タイプのものがまさにそれです。ブリオレット・カットやパンビル・カットと呼ばれるものが主流で、豪華さを象徴するようなものによく使われます。

このカットの使い分けは、加工する石の状態や性質によって決められたり、光を強く出したいのか、色を強く出したいのかでも選択肢は変わります。

元々のカットをベースにして、独自のカットを施す人もいますから、そこまで考えると、もはや宝石のカットの可能性は無限大です。

しかし、上質なダイヤモンドの場合は、やはり1番オススメのカットは、ラウンド・ブリリアンでしょう。このカットはダイヤモンドを1番美しく輝かせるプロポーションをです。光が強すぎず、弱すぎず、最も綺麗な透明度と虹色を同時に放つ、ダイヤモンドのために作られた絶対的なプロポーションなのですから。

ラピスラズリにまつわる義経と浄瑠璃姫の悲恋

群青色の美しい宝石・ラピスラズリには強力で万能な力が宿っていると信じられています。

昔はこのラビスを粉にして絵の具として使用していました。西洋の教会の古い壁画や天井画にもこの、群青色がよく使われました。また、《真珠の首飾りの少女》で有名なフェルメールが愛した通称《フェルメール・ブルー》も、このラピスラズリを使ったものです。

ラピスラズリの和名は青金石ですが、東洋七珍(金・銀・珊瑚・瑠璃・破璃・瑪瑙・真珠)の呼び名である瑠璃の方が一般的に知られています。

宝石言葉は《健康/愛和》。宝石のメッセージは《清浄/信心/薬効・疫病払い》とされています。

ラピスラズリは上質なものには金の斑点があって、これはまるで夜空に浮かぶ星のようにもみえます。故に、宇宙エネルギーを彷彿させる石でもあり、仏教でも《瑠璃光》と呼称され、多くの教典の中でも、極楽浄土を彩る七宝として登場します。

こうしたことから、魂の浄土への導きが役王である薬師如来と結びつきます。室町時代には瑠璃には薬師如来が宿ると信じられるようになり、瑠璃に関する伝説も誕生します。

代表的な伝説が、邦楽《浄瑠璃》の起源となったといわれる、《浄瑠璃姫伝説》です。元々は薬師如来の化身である遊女・浄瑠璃御前と牛若丸こと源義経の悲恋が平家琵琶で民衆に語られていましたが、時代とともに多種多様に変化しました。

源義経と瑠璃姫の出逢いは、承安4年(1174)の春のことでした。義経が藤原秀衡を頼って陸奥へ向かう途中のことでした。三河の矢作の長者の館で世話になることになったのですが、そこの館の美しい娘こそが瑠璃姫だったのです。

ふたりは深く愛し合うようになりますが、義経には源氏再興のという大望があります。この里にいつまでも留まるわけにはいきませんでした。

義経は苦しんだ末、母の形見である横笛を瑠璃姫に預けます。「必ず迎えにくる」と言い残し、陸奥を目指して出発します。ところがひとり残された瑠璃姫は義経の大望成就を願い、自らその尊い命を絶ってしまったのです。

これが義経と瑠璃姫の悲恋の物語です。

西洋に於いて、ラピスラズリには《薬》《犠牲》などの意味があります。まさに瑠璃姫も義経の元気薬であり、彼の大望成就を願って犠牲を厭わなかった。そんな生き様ではなかったでしょうか。

宝石に宿った薬師如来の話から、義経と浄瑠璃御前の悲恋に、そして現代に伝わる浄瑠璃へ…これもラピスラズリがもたらした宝石の神秘なのかもしれませんね。

月の力が宿る不思議な石・ムーンストーンの神秘

遥か古より、月には不思議な力があると信じられてきました。

和名を月長石。陰のある青白い半透明の石の局面に浮かび上がって見えるのが特徴的で、この現象をシラー効果といいます。

これは余談ですが、同じ月長に属する宝石の中にはムーンストーンに対して、《サンストーン》というものもあります。これは名前の如く、太陽を象徴するような赤褐色で、和名も日長石となっています。

清楚で気品のあるこの姿に、愛好者は世界中に年々増えています。真珠同様に、デリケードな美しさと優しい乳光が魅力的な宝石です。また、ムーンストーンと真珠、どちらにも似たような伝承が多く残されています。

宝石言葉が《愛の予感》。宝石のメッセージが《悪魔を祓う/幸福》とされています。

ムーンストーンには数多くの言い伝えがありますが、月の力が宿り、夢魔や夜に出没する悪霊を祓う力があるということや、口に含んで願い事をすると叶うという言い伝えが有名です。

また、「古くから月が欠けた天体を元に戻すように、ムーンストーンは苦しんでいる人々から苦しみを取り除いて元に戻す。そしてこの宝石は月が欠ける時に用いると、様々な幸運に恵まれる」とマルボドゥスの《宝石誌》に記されています。

16世紀にはアントワーヌ・ミゾオ著の《月の秘密》という本に、ムーンストーンにまつわる面白い話が記されています。

ミゾオには旅行家の友人がいました。彼は当時のゴールド・ノーブル金貨ほどの大きさのムーンストーンを持っていて、「この石は月の満ち欠けに反応して、表面の白い斑点が大きくなったり小さくなったりする」ということを書き残しているのを知ります。

ミゾオは自分でも試したくなり、早速そのムーンストーンを友人に、1ヶ月だけの条件で借りることにしました。するとアラ不思議。最初はあわ粒ほどで石の丈夫にあった白い斑点が、徐々に大きくなりながら中央部に移動するではありませんか。丁度真ん中に来た時が1番大きく、その時が満月。そして月が欠け始めると粒は下の方へと移動し、だんだんと小さくなったのです。

そして、この不思議な石は後に、所有者から鑑識眼の優れた若き国王・エドワード6世に献上。王はこの石によって、多くのことを予知判断出来るようになったといい、生涯この石を大切にしたと締めくくられています。

このエドワード6世はヘンリー8世の子供で、エリザベス1世とは異母兄妹。エドワード8世は9歳で即位し、その6年後、15歳で亡くなりました。ミゾオが記したように、このエドワード6世に本当に優れた鑑識眼が備わっていたのだとしたら、それは父王・ヘンリー8世の影響が大きいでしょう。

ヘンリー8世は生涯、宝石に魅せられ、目映いばかりの宝石をその身に纏っていたとしてしられています。エドワード8世が亡き後、王位を継いだエリザベス1世もまた、月の影響を受けるとされた真珠を自身の象徴として、この上なく愛したとされています。

日本の国石・水晶は古代よりその神秘の力が尊ばれていた!

皆さん、日本の国石が水晶だって知っていました?良質な水晶が日本でも採掘されていることを知らない人、わりと多いんですよね。国石も真珠と勘違いされてたりもしますし。

ちなみに古来、日本では水晶は“水精”ともいわれてました。 

そんな水晶を国石とする我が国・日本には、水晶にまつわる話が結構残されています。

その中のひとつが、幻の女帝・神功皇后伝説です。神功皇后は日本の歴史上で、一番最初に水晶を手にした人物だと伝えられています。

彼女が登場する《日本書紀》によれば、神功皇后は巫女的能力の高い人で、そのご神託を聞かなかったばかりに、夫・仲哀天皇は病魔に襲われ、あっけなく崩御したとか。

その神功皇后が大切にしていたのが、豊浦の海で拾った水晶《如意玉》でした。もともと能力の高い神功皇后は、どんなものからでも占うことができ、なんとその能力で自分のお産までコントロールしたとか。その能力は《如意玉》を拾って以降、ますます発揮されました。

息子が応神天皇として即位してからも、母后として、ご神託による政治を69年間も行い、101歳で天寿をまっとうしたといいます。彼女が大切にしていた水晶は、現在、西宮市の広田神社にて御神宝として残されています。

が、しかし!実は彼女の存在自体が疑問視されていて、まさに幻の女帝。それでも、この時代にすでに、水晶の神秘の力に注目していた日本人が存在していたということは明らかです。

歴史的に実在が明らかな人物にも、水晶にまつわる話が残っています。

時は室町時代後期。天下取りを狙う権力者たちは領土を奪い合い、血族をも敵味方に分けて、骨肉の争いを繰り広げていました。親子、兄弟すべてが疑心暗鬼に包まれていた時代、武田信玄の父・武田信虎もまたそんなひとりでした。

それには理由がありました。ある日、信虎は信仰している寺の仏像の額に第三の眼である白毫を入れんと、水晶を持ってその寺に向かいます。その道中、信虎はふと水晶を取り出します。すると不思議なことに、そこにははっきりと、刀を手にした嫡男・晴信(後の信玄)の姿が映し出されていたのです。これを謀反の前触れだとみた信虎は、家督を晴信ではなく次男の信繁に継がせると断言。これがきっかけで、親子は不仲となり、対立することになるのです。

憎しみが深まり、争いが続き、ついに晴信は父・信虎を駿河(静岡県)追放し、娘婿の諏訪頼重を騙し討ち同然で切腹に追いやります。その後、彼の娘・諏訪御料人を妻に迎えて周囲を驚嘆させますが、まるで罪滅ぼしをするかのように、晴信は御料人を大切にしました。しかし、彼女は25歳で夫と8歳の息子・四郎を残して逝去。晴信は落胆します。

悲しみにくれる晴信の元に、京から水晶の研磨職人が訪れます。「大事な夫の出家祝いのためのものなので、親玉には“信玄”と刻んで欲しい」との注文を受けた水晶の念珠を届けにきたのだというのです。

自身の死を予見した妻が、自分亡き後の夫の落胆を案じて遺した最後の贈り物だったのです。「落胆せず、世のため人のため、仏に仕えて欲しい」という妻の祈念が込められていることを、晴信は受け取ります。入道した晴信は妻の水晶の念珠以外にも、いくつかの水晶の念珠を作らせます。名も信玄に改め、人が変わったように政策に打ち込みました。

信玄が亡き後は四郎が家督を継ぎ、8つの領土を支配し、甲斐と諏訪の架け橋となり、両親の夢を実現させます。信玄から受け継いだ水晶の念珠のひとつは、四郎の異母妹である信松尼(松姫)へと渡り、十分にその力を発揮しました。信松尼は人々に絹織りの指導をし、八王子織の始祖として信松院に奉られています。

美しさ故なのか…青いダイヤモンドの魔性伝説

燦然と輝くダイヤモンドは、その美しさや丈夫さから、不滅や永遠の愛の証とされる宝石です。しかし、美しいものにはなんとやら…ダイヤモンドには輝かしい光の伝説とともに、その光故に生まれる闇の伝説が多く残されています。

その中に、魅惑の魔性伝説で語り継がれ、現存する、最も有名なダイヤモンドがあります。

持ち主を不幸にする魔性の青きダイヤモンド───その名は《ホープ》。

名を知らずとも、持ち主が次々と不幸な死に方をしたというダイヤモンド伝説は聞いたことがあるでしょう。

ルイ14世はフランスの王家でも特に宝石蒐集家として有名でした。タヴェルニエはその皇帝の王命を受け、欧州人初のムガール帝国訪問者となります。そこで多くの宝石を入手し、王に献上。この中には青く美しいダイヤモンドがあり、王はこれを非常に喜び、代価とともに男爵の商号を彼に与えます。この青い宝石は《フランスの王の青》と名付けられ、ルイ王家宝石目録の最初の頁に加えられました。これが後の呪いの青いダイヤモンド《ホープ》です。

この青いダイヤモンドはムガール帝国の仏像の額にあったもので、入手経緯がはっきりせず、タヴェルニエが仏像から勝手に抜き取ってきたものという説がありますが、彼はこれを否定しています。伝承だけは確実でした。実はこのダイヤモンドには「手にした者を不幸にする」という伝承があったのです。

最初に手にした司令官は自殺。司令官から献上された王は家臣の反逆によって無惨に殺されます。そして、タヴェルニエは築いた財を息子によって失います。老体に鞭打って旅に出るものの、旅先で死亡。その後、ルイ14世が天然痘で死去すると、人々は「青いダイヤの呪いだ」と噂しました。

《フランスの王の青》はマリー・アントワネットも非常に気に入った宝石でした。彼女が夫とともに断頭台に送られた時、人々の間では、青いダイヤの呪いは信憑性をもって囁かれることとなったのです。

このダイヤモンドは代々王家に伝わったのですが、フランス革命後に新政府が王家の財産をすべて没収したところ、この中に《フランスの王の青》はありませんでした。

「青のダイヤが盗まれた」という噂がパリ流れた春のある日、アルステルダムの宝石のカット職人の下に2、3個にカットして欲しいと、青いダイヤモンドが持ち込まれました。職人は要望どおりにそれをカットしますが、それを職人の息子が持ち出して売ってしまいます。責任を感じた職人は自殺し、それを知った息子は自責の念にかられ、父を追って自殺しました。

月日が過ぎたある日、餓死寸前のフランス人が、ロンドンの宝石商の男のもとへ青いダイヤモンドを持ち込み、宝石商の男は5,000ポンドで引き取ります。顧客である銀行家、ヘンリー・フィリップ・ホープにこのダイヤモンドを見せると、彼はこのダイヤモンドを非常に気に入って18,000ポンドで買い取ります。

これこそ、あの《フランスの王の青》でした。この時以来、《ホープ》と呼ばれるようになります。ダイヤモンドの身元が判明したのは、ホープがロンドン万博で出展したことで、宝石研究第一人者により判明したのです。

ホープ氏は生涯独身で死去。一族は破産します。宝石を相続したフランシス・ホープは気味が悪くなって宝石を売却しました。やがて《ホープ》は多くの人間の手に渡りますが、所有した人々の人生を破滅させ、時に不幸な死を与え、時には盗難されたりとめまぐるしい旅をします。

現在はワシントンのスミソニアン自然史博物館に寄贈されており、《ホープ》はようやく安住の場を得て、世界で最も有名な青いダイヤモンドとして静かに過ごしています。

(結婚指輪の購入・・・宝石に魅せられてどうしても欲しい!という人はブライダルローンも検討してみては?)

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